発達障害と診断されたけれども

生きるってつらいよねっていうアラサー会社員です。くだらないこともたくさん書きます。

ブログの存在価値

僕はSNSの類はTwitterしかやっていない。

Instagramもやっていなしティックトックもやっていない。

 

Twitterの良いところは気軽に思ったことをいつでもすぐに発信できることだ。

ただ、僕は自分がやっているゲームのことだけを呟く「ゲームアカウント」だから、私生活のこととか、特に発達障害のことなどは書けない。

 

当然誰かに発信を見てもらいたい。僕の考えを知ってもらいたい。

それは人間が承認欲求を持つが故に誰しもが抱く感情だろう。

 

ただ、Twitterの場合は全世界の人間が発信するため、誰かと相互関係になければ発信した呟きはシャボン玉のようにすぐに弾けて消えてしまう。コップの中に垂らした水滴のように有象無象の中消えてしまう。

フォロワーが0であれば、発信した言葉は誰の目にも止まらず死んでしまうのだ。

 

ツイッターで僕が考えていることを書き出すと、あまりにも内容がネガティブ過ぎてフォロワーもどんどん減っていくだろう。

故にツイッターはあくまで趣味仲間との交流ツールにしか使えないと僕は思う。

 

 

その点ブログというのは自分の感情を書き出すのに最も適している。

文字数制限はないし、誰かと無理に繋がる必要もない。

思ったことを自分の好きなように書くことができる。

そして、何かの検索ワードがきっかけで誰かの目に留まる可能性を秘めている。

 

千人、一万人にブログを見てほしいなんて思わない。

ただ、たった一人でも発達障害やらアスペルガーやらで悩んでいる人が、何かのワードで検索したときに僕のブログが引っ掛かり、ブログ記事を見て「同じような人間が居るんだなぁ」と思ってもらえたらそれでいい。

その瞬間、僕が書いた記事は輝きを生み、踊り始める。

 

自分の考えを自分だけでまとめたいなら紙にでも書けばいいだけのこと。

でもそれでは僕の思想や経験してきたことは棺桶に入っているのと同じで誰の目にも届かないし何の意味もない。

 

僕の中でブログは「心地よい日差しの中で広げるキャンプ用の椅子」なのだ。

誰かが通りかかったら、隣で一緒に日向ぼっこでもしていかない?と声をかけることが出来るのがブログだと思う。

 

 

ブログに書きたいことは沢山ある。

中には下品なこともあるし、私生活では絶対に言えないことも沢山ある。

そんなことも書けてしまうのがブログなのだ。

見ている人は僕がどんな人間か分からないからこそ、そして僕からしたらどこのだれが見ているから分からないからこそ何でも書ける。

 

人間誰しもが人に聞いてもらいたい、伝えたいことを抱いている。

王様にロバの耳が生えていることを知った床屋は、誰かに話したい欲求を抑えられず穴を掘って「王様の耳はロバの耳だ!」と叫んだ。

僕にとってブログは「キャンプ用の椅子」の他に、僕の心の鬱憤を晴らすための「穴」なのかもしれない。