発達障害と診断されたけれども

生きるってつらいよねっていうアラサー会社員です。くだらないこともたくさん書きます。

ギャンブル依存症という名の不治の病 part2

 

前回の記事はこちら

cannedadhd.hatenablog.com

 

 

ギャンブル依存症になると自制が利かなくなる。

脳の構造がそうなってしまうのだから、当たり前と言えば当たり前のことだ。

普通に生きていればドーパミンが放出される機会など滅多にないのに、ギャンブルをするだけでドバドバと溢れ出てくる。

だから快楽を求めて、なりふり構わず更にギャンブルに走ってしまう。

 

 

僕もそうだが、大抵のギャンブル依存症者は負けると後悔して猛省する。

もう二度とギャンブルなんてやらないと心に誓う。

 

が、翌日になると反省も後悔もケロッと忘れてまたギャンブルをしてしまう。

嘘のようだが本当にそうなのだ。

 

 

ニュースを見ると、水原一平氏も「今回で本当に最後にする」とよく言っていたそうだ。

依存症者の「今回が最後」という言葉は世界で一番信用できない。

負けた悔しさ、買った喜びが頭を駆け巡り、どちらに転んだとしても次のギャンブルに繋がってしまう。

 

お金や信頼を失ってしまうと分かっていながらも脳の快楽には抗えない。

 

僕も一度パチンコ打ちたいスイッチが入ると、今にも死んでしまうんじゃないかというくらい動悸が激しくなり、居ても立っても居られなくなる。

「打ちたい」と思うだけで脳がドーパミンをお漏らししている。

 

 

水原一平氏も最初は悪いことだと分かっていながら、大谷翔平の口座に手を出したのだろう。

押し寄せる罪悪感、それに反して「ギャンブルをする」という行為に加え「犯罪行為」が更に加速度的に煽る射幸心。

一度やってしまえば二度も三度も同じだ。

いずれバレると分かっていながら、段々そのスリルも快楽の一つになっていく。

 

 

 

いやいや待て待てと。

自分だったら絶対にそんなことはやらない、と思ったそこのアナタ。

 

依存症の一番の恐ろしいところは、誰しもが依存症になり得るというところだ。

 

このブログを見て笑っているあなたが、あなたの恋人が、家族が、いつ依存症になってもおかしくない。

道端の石ころを蹴るくらい些細で簡単でくだらないことがきっかけで依存症に陥ってしまう。

そして、一度依存症になってしまったらもう二度と元通りになることはない。

 

 

パチンコ依存症で有名な青木さやか氏もこの記事の中で

news.yahoo.co.jp

今やってないですね。距離を置いてる、という感じです。でも「やりたい」と思うことはあります。やっぱり面白いものですよね、とても。でも、うまく付き合うことができないというか、ほどほどのところで止められる気がしない。その“危うさ”が自分にはあると今も思っているので、今はやっていないです。”

 

と話している。

 

依存症を克服したと思っていても、それは「一時的に」辞められているだけの話であり、いつ依存が再発してもおかしくない状況と闘っている。

 

一度自転車の乗り方を覚えた人が、再び自転車に乗れなかった感覚を取り戻すことは出来るのか?

出来ないのだ。

それと同じで、一度脳が快楽を覚えてしまった以上は「正常である」感覚を取り戻すことが不可能になる。

 

 

 

もし、タイムマシーンがあったら、僕は全力でパチンコに興味を持った過去の自分を止めに行くだろう。

殴り倒してでも、刺してでも、絶対にパチンコ屋に行かせない。

 

僕は一生かけてパチンコに興味を持ってしまったことを後悔し続ける。

 

 

 

どうか、大学生、社会人で周りの先輩や上司、友達にギャンブルに誘われている人が居たら勇気をもって断ってほしい。

相手に嫌われたっていい。何をしてでも絶対に断ってほしい。

どうかその綺麗で正常な脳を、そのまま汚染させずに生き抜いてほしい。

 

僕はどれだけ望んでも、もう元の僕には戻れない。