発達障害と診断されたけれども

生きるってつらいよねっていうアラサー会社員です。くだらないこともたくさん書きます。

社会で生きるとは

僕は社会に出ると学歴は正直役に立たないと思っている。

地頭の良さなどは多少あるだろうが、良い大学を出ていても仕事が出来ない人間は沢山いる。

 

社会人になって求められる能力は、方程式を解ける能力でも、下線部を英訳する能力でもなく対人能力と要領の良さではなかろうか。

 

 

 

僕の職場の大嫌いな後輩は仕事が出来ない。

 

僕らの仕事は上司から毎日案件を振られ、それをこなしていく仕事。

彼はどうやったらそこまで案件を抱えることが出来るのかというくらい、件数を捌けずに手持ち数を抱える。

それなのに改善する努力をしない。

それどころか、自分の能力不足を認めずに案件を配布する上司が悪い、相手が悪いなど責任転嫁をする。

 

 

傍から見ていて、彼は要領が悪すぎる。

 

まだ彼と正常の仲だった頃、仕事の進め方について聞かれたことがある。

当時から要領の悪さを感じていた僕は、真剣に相談してくる彼に対してああしたらどうか、こうしたらどうかと真面目に提案をした。

だが、僕が何を言っても彼は「それは無理です」「自分にはできないです」を貫き通してきた。

 

僕は真面目に相談に乗ったことがアホらしくなり、それ以来彼と話すことを辞めた。

今は会話どころか目線すら合わせない。

 

「出来るか分かりませんがやってみます」の一言でもあったら変わってたかもしれない。

しかし、「無理」を突き通す彼に、僕はコミュニケーション能力の欠如を感じざるを得なかった。

 

結局要領の悪いまま年数だけ過ぎた彼は、部署の立派なお荷物になっている。

 

 

 

僕は僕で幼稚だから、一度人のことを嫌いになると極限までその人を嫌いになる。

そう考えると僕も対人能力は低い方だろう。

 

 

会社という組織に属している以上は、誰とでも円満な関係を築くべきだと思う人もいるだろうが、僕はそうは思わない。

 

能力を発揮できない人間、周りに溶け込めない人間は淘汰されて然るべきだと思う。

余程能力が高い人間が、周りとは一歩距離を置き我が道を進むというのであればまだ分かる。

だが、能力が低いうえに周りにも溶け込めない人間は「邪魔者」以外の何者でもない。

 

 

会社は幼稚園ではない。

「みんなで仲良くしましょうね」なんて言ってくれる先生も居ない。

 

会社とは自分の居場所を確立せねばならない戦場なのだ。

 

 

 

そんな大嫌いで邪魔者でお荷物な後輩が、ここ最近どんどん部署の中で話題になっていっている。

先輩、後輩、上司からすこぶる評判が悪い。

彼のことを嫌いな人の割合が部署の80%を超えている。

 

 

彼は発達障害なのではないかと、発達障害当事者の僕は思う。

まるで違う世界線の僕を見ているようで気持ちが悪い。

 

けれど、「君は発達障害だと思うから良い病院紹介するよ」などと言ったら冗談抜きに僕がパワハラで糾弾されてしまう。

 

 

早く部署から離れてくれることを願うことしかできない。

 

ギャンブル依存症という名の不治の病 part2

 

前回の記事はこちら

cannedadhd.hatenablog.com

 

 

ギャンブル依存症になると自制が利かなくなる。

脳の構造がそうなってしまうのだから、当たり前と言えば当たり前のことだ。

普通に生きていればドーパミンが放出される機会など滅多にないのに、ギャンブルをするだけでドバドバと溢れ出てくる。

だから快楽を求めて、なりふり構わず更にギャンブルに走ってしまう。

 

 

僕もそうだが、大抵のギャンブル依存症者は負けると後悔して猛省する。

もう二度とギャンブルなんてやらないと心に誓う。

 

が、翌日になると反省も後悔もケロッと忘れてまたギャンブルをしてしまう。

嘘のようだが本当にそうなのだ。

 

 

ニュースを見ると、水原一平氏も「今回で本当に最後にする」とよく言っていたそうだ。

依存症者の「今回が最後」という言葉は世界で一番信用できない。

負けた悔しさ、買った喜びが頭を駆け巡り、どちらに転んだとしても次のギャンブルに繋がってしまう。

 

お金や信頼を失ってしまうと分かっていながらも脳の快楽には抗えない。

 

僕も一度パチンコ打ちたいスイッチが入ると、今にも死んでしまうんじゃないかというくらい動悸が激しくなり、居ても立っても居られなくなる。

「打ちたい」と思うだけで脳がドーパミンをお漏らししている。

 

 

水原一平氏も最初は悪いことだと分かっていながら、大谷翔平の口座に手を出したのだろう。

押し寄せる罪悪感、それに反して「ギャンブルをする」という行為に加え「犯罪行為」が更に加速度的に煽る射幸心。

一度やってしまえば二度も三度も同じだ。

いずれバレると分かっていながら、段々そのスリルも快楽の一つになっていく。

 

 

 

いやいや待て待てと。

自分だったら絶対にそんなことはやらない、と思ったそこのアナタ。

 

依存症の一番の恐ろしいところは、誰しもが依存症になり得るというところだ。

 

このブログを見て笑っているあなたが、あなたの恋人が、家族が、いつ依存症になってもおかしくない。

道端の石ころを蹴るくらい些細で簡単でくだらないことがきっかけで依存症に陥ってしまう。

そして、一度依存症になってしまったらもう二度と元通りになることはない。

 

 

パチンコ依存症で有名な青木さやか氏もこの記事の中で

news.yahoo.co.jp

今やってないですね。距離を置いてる、という感じです。でも「やりたい」と思うことはあります。やっぱり面白いものですよね、とても。でも、うまく付き合うことができないというか、ほどほどのところで止められる気がしない。その“危うさ”が自分にはあると今も思っているので、今はやっていないです。”

 

と話している。

 

依存症を克服したと思っていても、それは「一時的に」辞められているだけの話であり、いつ依存が再発してもおかしくない状況と闘っている。

 

一度自転車の乗り方を覚えた人が、再び自転車に乗れなかった感覚を取り戻すことは出来るのか?

出来ないのだ。

それと同じで、一度脳が快楽を覚えてしまった以上は「正常である」感覚を取り戻すことが不可能になる。

 

 

 

もし、タイムマシーンがあったら、僕は全力でパチンコに興味を持った過去の自分を止めに行くだろう。

殴り倒してでも、刺してでも、絶対にパチンコ屋に行かせない。

 

僕は一生かけてパチンコに興味を持ってしまったことを後悔し続ける。

 

 

 

どうか、大学生、社会人で周りの先輩や上司、友達にギャンブルに誘われている人が居たら勇気をもって断ってほしい。

相手に嫌われたっていい。何をしてでも絶対に断ってほしい。

どうかその綺麗で正常な脳を、そのまま汚染させずに生き抜いてほしい。

 

僕はどれだけ望んでも、もう元の僕には戻れない。

ギャンブル依存症という名の不治の病

テレビは職場の食堂でご飯を食べてるときにしか見ないけれど、未だに昼のワイドショーでは水原一平氏の話題で持ちきりである。

未だにというよりも今まさにホットなニュースの間違いか。

 

 

普通の人は水原氏のニュースを見て何を思うだろうか。

大谷翔平の口座から数百億も抜いて悪い奴だ!と思うのが普通だろう。

 

水原氏は大谷翔平だけでなく、世間からの信頼も完全に失った。

もう二度とまっとうな道に戻ってくることは出来ないかもしれない。

 

しかし、僕には彼がなぜここまでのことをしてしまったのか、理解できる気がする。

 

何故なら、僕も自他共に認める重度のギャンブル依存症だからだ。

 

 

 

僕は重度のパチンコスロットの依存症だ。

 

ハマったのは大学2年生の頃だっただろうか。

きっかけは彼女(妻)が魔法少女まどか☆マギカ好きで、まどマギのスロットがあるらしいから一緒に打ってみようということからだった。

 

パチンコのレートは通常1玉=4円、スロットのレートは1枚=20円が基本である。

 

しかし、版権が好きで打つ且つ初めてスロットを打つのにそんな高レートはとてもじゃないけれど打てない。

ということで1枚=2円のいわゆるレートが通常の1/10の2スロで遊び始めた。

 

アニメのこのシーンが使われてるんだね、なんて言いながら本当に最初は遊び感覚で2スロのまどマギだけ打っていた。

2スロだと1日遊んでも3千円程度しかかからない。

言わばゲームセンターと同じようなものだ。

 

スロットを打ったならばパチンコに手を出すのも時間の問題だった。

化物語ひぐらしのなく頃にシリーズなど、アニメ好きの僕には打ちたいパチンコ台が山ほどあった。

 

パチンコも当初は1円パチンコで遊んでいた。

 

だが、3千円くらい勝ったとき「これが4円パチンコならば1万円以上の勝ちになる…?」と4円パチンコに興味を持ち始めた。

 

思えばそれがどん底人生の始まりだった。

 

 

最初の4円パチンコの感想は「とにかく金がなくなるのが早い」だった。

1万円が30分足らずで溶けてしまう。

 

だが、反対にリターンも大きい。

1万発出せばそれだけで4万円になる。

当時は一回の大当たりが2,400発の台が多かったため、5連荘させれば4万円が手に入る。

 

「1万発出せば」と簡単に言うが、それが非常に難しい。

1/399の初当たりを射止め、50%の壁を突破して、120回転の間に1/64を当て続けなければならない(真・花の慶次)。

 

ドはまりしたきっかけは、今でも覚えている。

妻と翌日いちご狩りのデートに行く予定だったが手持ち資金が少々心もとない。

1万円だけ勝負してみるか…と花の慶次を打ち、見事に軍資金1万円が5万円に増えた。

「今日勝ったから明日は豪快にいける」という多幸感。

「1万円を失わず、逆に5万円になって戻ってきてよかった」という安堵感。

打った帰り道、帰った後も脳がずっと射精しているような感覚だったのを覚えている。

 

 

それ以来すっかり僕は4円パチンコにハマってしまった。

給料日前のデートでお金がない…あの時みたいに増やせないだろうかと打ちに行き、逆に返り討ちにあい3万円くらい負けて、呆然と外の喫煙所で立ち尽くしたこともあった。

負けた金を取り戻さなきゃと家中のゲームを搔き集めてブックオフに売りに行ったこともある。

 

 

パチンコにハマってから僕はパチンコのことしか考えられなくなった。

 

19歳の時にハマったと仮定して、今が29歳だから僕は10年間パチンコにハマっている。

学生の頃は103万まで目一杯バイトをしていて、卒業するときの貯金はほぼ0。

就職後も打ち続け、ろくに貯金が出来ていないから恐らく累計で1000万近くは負けている。

 

 

僕は非常に熱しやすく冷めやすい性格なのに、何故かパチンコだけは冷めるときが来ない。

 

それもそのはずで、パチンコスロットは人をハマらせるために作られている。

 

パチンコメーカーは画面や音、光、タイミングなどを駆使して神経伝達物質の一つであるドーパミンの放出を上手く操る。

そんなうまく作られた台に晒され続ければ、自ずとドーパミンの分泌条件が通常の人間とは大きく異なってしまう。

言うなれば、パチンコでしか興奮できない脳になってしまう。

 

脳の構造そのものが変化してしまうのだ

 

これはパチンコに限った話ではない。

競馬や競輪、カジノ、野球賭博など人の射幸性を煽るギャンブルは人の脳そのものを劣化させてしまう。

そして劣化した脳は二度と戻ることがない。

 

よく例えられるのが、一度たくわんになったらもう絶対に普通の大根に戻ることはないのと同じだ。

故に、ギャンブル依存症は二度と治ることのない、不治の病なのだ。

 

そして、そんな状態の脳になってしまった人間は、通常では考えられないような思考を生み、行動に起こす。

 

今回の水原一平氏のように…。

 

 

 

 

多分、文字数が1万字を平気で超えると思うので、今日はこの辺で。

これから複数回に分けてギャンブル依存症者が語るギャンブルの怖さについて書こうと思います。

 

 

疲労コンバイン

書きたいことは色々あるけれど、疲労が蓄積しすぎてそれどころではなくなってしまった。

 

新人の育成係も始まり、且つ別の後輩二人の面倒を見ながら自分の案件もこなさなければならない。

 

4月から求められる水準が非常に上がった。

お給料は上がっていないのにね。

 

トリンテリックスという抗うつ薬を飲んでいるけれど、もし薬がなかったら今頃どうなっていたのか気になる。

 

 

自分が新人の時に同じように先輩らに手厚く面倒を見て貰ったのだから、今度は自分が良き先輩になってそれを返していかなければならないと思う。

 

でも「良き先輩」を演じるのは、非常に疲れる。

休んだっていいじゃないか

毎週のように襲われる土日の焦燥感がどこから湧き出てくるのか考えてみた。

 

 

今僕は資格の勉強をしている。

と、言いたいところだが、全然勉強していない。

 

上司に「この部署に行きたいからこの資格の勉強しているんです!」と言ってしまった手前、やらざるを得ない状況になっている。

別に今の仕事をするうえで必要な資格でもないし、何なら合格したからと言って何が変わるわけでもない。

ただ、公言してしまったが故に自分で自分を追い詰めてしまっている。

これは僕の子供の頃からの悪癖だ。

 

 

僕は非常に熱しやすく冷めやすい。

例えば、筋トレなどやり始めた直後は燃え滾るような熱量なのに、一週間も経てば鎮火している。

 

それを自分の中だけで消化できればいいのだが、大抵公言してしまう。

 

高校受験の時も、周りに「僕は〇〇高校へ行く!」と宣言し、結局モチベーションが続かずに落ちてしまった。

筋トレもTwitterで「毎日腹筋〇回やります!」と呟いて、そのままアカウントを消した。

 

僕は公言して自分に発破をかけようと思っているのだが、ほぼ裏目に出て、挙句の果てに「またダメだった…」と自尊心を失う。

唯一成功したのは、妻の母に「宅建士の資格取ります!」と宣言し、必要以上に応援されてしまい、引くに引けなくなってちゃんと勉強して合格できたことくらい。

 

 

 

ここ最近僕が土日に感じてるのは周りに資格を取ると公言してしまったことが原因だろう。

勉強しなければならないのに、勉強を始めることが出来ない焦り。

試験日にどんどん近づいてくる焦り。

そんな焦りとは裏腹に、YouTubeのショート動画で一日を浪費してしまう焦り。

 

 

非常に言い訳がましく聞こえてしまうが、無理に焦る必要はないと今日思った。

 

別に、人生を左右するような大学受験や就職試験じゃあるまい。

あくまで自分のキャリアアップのために勉強しようとしているだけだ。

 

張り切りすぎて途中でガス欠するくらいなら、思い切って休むのも大事。

 

 

ということで、僕は今日一切勉強のことを考えず過ごしてみた。

一日中スマホでだらだら動画を見て、昼寝をしてグータラ過ごした。

そしたらなんと気持ちの良いことか。

 

これこれ、こういうのでいいんだよ。

こういう土日で良いんだよ。

むしろこういう土日が正解なんだよ。

 

行き詰った時は無理に前に進もうとするのではなく、思い切って休んでみるのも一つの手だ。

思い切り休んで、そろそろ頑張ろうかなと思い始めたころにまた頑張ればいい。

3歩進んで2歩下がるとはまさにこのことだ。

 

 

 

以上、現実逃避おじさんでした。

 

理解のある彼君

最近、「理解のある彼君」という言葉が流行っている。

 

dic.pixiv.net

 

僕の妻がまさにその「理解のある存在」だろう。

 

 

 

今日はスマホの機種変更をネットでした。

複雑なことが分からない僕は妻に、プランはこれ、容量はこれ、と教えて貰いながら手続きをした。

 

iPhone13から15に変わるので、充電コードも必要ということなのでAmazonで探してもらった。

ついでにスマホケースも手帳型のやつを探してほしいとお願いしたら安くて良いやつを見つけてくれた。

 

 

妻は超が付くほどのしっかり者だ。

この家の全ては妻が回しているといっても過言ではない。

 

僕が仕事から帰ったらすぐにご飯が食べられるように準備していてくれる。

ティッシュや洗剤、お風呂の後に食べるアイスまで、在庫が切れる前に妻が補充してくれる。

トイレ掃除は僕がやっているのに、ブルーレットやスタンピーまでいつの間にか補充されている。

引っ越した時のネット回線の手続きや家具家電の調達まで全て妻がやってくれた。

猫のトイレ掃除や水替えなどもやってくれている。

 

 

僕の私物もほとんど妻が揃えてくれたものだ。

財布は大学2年生の誕生日に貰ったもの。

通勤用の鞄は社会人2年目の時の誕生日に貰ったもの。

持ってるネクタイも全部貰ったもの。

今使っているアイコスでさえ、誕生日に貰った。

僕の靴下や下着もそろそろ替え時だと感じたら、いつものやつを買ってきてくれる。

 

 

付き合っている時からそうだった。

旅行に行くときはホテルや新幹線、レンタカーの手配なども全て妻がやってくれた。

だから僕は30歳にもなるのに未だに新幹線の切符の買い方が分からない。

今の会社でさえも、妻がここ良いんじゃない?と勧めてくれた会社だ。

 

 

多分、妻と出会わなかった世界線の僕は大学すら卒業できなかっただろう。

未だに実家暮らしだったかもしれない。

 

 

 

実際に、僕が通っている病院の先生はこう言っていた。

「らむねさんは本当に良い人と巡り会えた。奥さんと出会ってなかったら恐らく相当壮絶な人生だったでしょう。」

 

妻にとってはいい迷惑かもしれないが…。

 

 

僕は元々別の大学を志望していた。

模試でもずっとA判定だったが、センター試験に玉砕し、通常入試でも撃沈した結果某大学に入学した。

だが、大学受験に失敗したからこそ僕の人生の支えとなる妻と出会えたのだ。

そう考えると奇跡的な巡り合わせのように感じる。

 

 

 

僕はそんな妻に何ができるだろうかと、ふと考えた。

出会って10年経つが、僕は今まで何かしてあげられたのだろうか。

与えられてばかりだ。

僕は愛されたいと一丁前に嘆く癖に、一番愛してくれている人を遠ざけていたのかもしれない。

 

 

 

理解のある妻によって僕の人生は救われた。

 

ここから先の人生は、せめてその恩を返せるように過ごしていきたい。

 

 

 

しかし、書いてみて我ながらどこまでいっても情けない男である。

履修を組めない大学生

新大学生は今頃入学式を終え、ガイダンスなどを経て履修登録期間だろう。

 

 

1年目は入りたてだから情報もなく、いわゆる「楽単」など知らず、真面目に履修登録をしていく。

僕の場合は卒業までに140単位くらいを取らなければならなかった。

 

就活などを見据え、早めに単位を取っておかなければ後が苦しくなるので1、2年目に出来るだけ単位を取得するのが大学生のセオリーだ。

 

 

 

そもそもの問題として、僕は履修の仕組みをうまく理解できなかった。

例えば一般教養科目を何単位、語学科目を何単位、専攻科目を何単位必ず取らなければならないと最初に説明があったが、理解できなかった。

 

いや、理解できなかったというよりも不安だった。

自分が組んだ履修で本当に卒業できるのかという不安。

卒業間際になって、この単位を取得していないから卒業できませんと言われるかもしれない不安。

 

特に、僕と6歳年の離れた従兄が就職先も決まり、いざ卒業間際という段階で単位が足りないことが判明し留年した。

もちろん内定も取り消しになった。

 

そういった姿を見ていたから、自分で履修を組むことが怖くて僕は出来なかった。

 

 

 

そんな僕が一体どのようにして大学4年間を乗り切ったのか…。

 

前にも書いたが、僕は今の妻と入学してたった数日後の4月5日に付き合い始めた。

履修登録をする前に付き合った。

妻とは同じ学科だった。

そして、妻はかなりのしっかり者だ。

 

 

察しが良い人はもう分かるだろうが、僕は妻が組んだ履修をそっくりそのまま真似た。

一般科目も、専攻科目も全て同じ講義を受講する履修スケジュールを組んだ。

 

当時、付き合いたての妻は一緒に居られる時間が嬉しいと喜んでいたが、僕は大学を卒業するための苦肉の策だった。

直感で感じた妻の真面目さに、絶対にポカはあり得ないと出会ったときから分かっていた。

それ故に、4年間丸ごとそっくりそのまま妻の履修を真似た。

 

だから、僕が一切興味ない講義を受けるときはよく机に突っ伏して寝ていた。

 

 

真面目な妻のおかげで2年目の終わりにはほとんどの必要単位を取り終わり、3,4年目はほとんど講義を入れずバイトに勤しんだ。

 

 

結局、大学で僕は何を学んだんだろうかとたまに考える。

何かを学びたくて大学に入ったのに、気が付けば「卒業」のために講義を受けていた気がする。

 

 

言葉にできないほどの阿呆である。

 

 

もし履修で悩んでいる大学生が居たら、自分のことは自分で決めよう。

と、自分で何も決められなかった僕が言ってみる。