発達障害と診断されたけれども

生きるってつらいよねっていうアラサー会社員です。くだらないこともたくさん書きます。

水を得た魚

新年度を迎えてから一週間が経った。

 

先週の月曜日入社式だったであろう新入社員は、今はまだ研修期間中だろうか。

それとも各々の部署に仮配属されただろうか。

社会人になって初めての土日を過ごして、日曜日が終わる寂しさを改めて実感しただろうか。

 

 

 

僕は日曜日が終わると逆にワクワクする。

仕事が好きかと聞かれたら、好きだと答えるかもしれない。

 

生きているように見えて生きていない休日とは違い、出勤する平日は生を実感する。

ただただ悪夢を彷徨い自堕落に過ごす休日よりも、仕事をしているときは自分がまるで別人のように感じる。

平日になると、水を得た魚のように生き生きとする。

 

 

それは僕が中堅ポジションになったことによる責任感なのか。

上司から信頼を得て、仕事を任せてもらえている優越感なのか。

 

 

上司からも後輩からも頼りにされている会社での自分は、確実な存在がそこにある。

仕事を与えられることで、自分のやるべきことが生まれ、それに取り組むことで生を感じる。

 

言うなれば、会社は「仕事」を通して僕に僕という存在を与えてくれているのだ。

 

 

休日の僕は、猛獣がいない猛獣使い。

本がないブックカバー。

猫が居ない猫カフェ

 

猛獣がいない猛獣使いはただの人だ。

それと同じで、仕事がない僕はただの人なのだ。

 

猛獣使いにとって猛獣は存在証明。

僕にとって仕事が存在証明なのだとすれば、そりゃ休日は苦しいよ。

 

 

キラキラな休日を過ごす会社の人を見て羨ましく思う。

土日が終わってしまうことを本気で悲しめる人は、確かな自分を持っている。

 

僕みたいに、仕事を与えられないと生き甲斐を感じられない人間とは違って、自分で自分の存在を証明できている。

 

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ここまで病的ではないけれど、どこか近いものを感じてしまった。

 

 

 

 

 

何か休日に趣味でも見つけようか。

豆から挽いた珈琲でも飲みながら、小説でも読んでみようか。

 

いや、2日で飽きるだろう。

 

 

何をやっても続かない僕は、生きるために「続けていくしかない」仕事こそが唯一の趣味なのかもしれない。

 

哀しい男だ。

夢の世界に囚われて

発達障害を抱える人は睡眠障害を同時に抱えている場合が多いと聞く。

僕の場合は過眠症と悪夢障害を抱えている。

 

 

平日は会社に行かなければならない責任感と使命感から、ぐずりはすれど遅刻せずに起きる。

ただ、土日になるとそれが全く出来なくなる。

 

妻は土日の朝から夕方まで働きに出ている。

朝が早いため、僕も妻も基本的に金曜日と土曜日は23時には就寝する。

そして、僕は朝10時まで泥のように眠る。

約11時間睡眠。

十分すぎる睡眠時間だが、起きても身体が鉛のように重くて眠気が凄まじい。

 

妻から与えられた、トイレ掃除などの家事の指示を一通りこなし終わった後、昼食も食べずにこたつで昼寝をする。

昼の12時くらいから夕方17時くらいまで眠り続ける。

ひどい時は、指示を何もこなせずに寝てしまうこともある。

 

 

とすると、つまり僕は休日1日16時間近く寝ていることなる。

勉強をしなければいけないという焦りが更なる焦りを生み、睡眠という逃避行動に走ってしまうのか。

あるいは、平日にピンと張っている緊張の線が切れて、疲れがどっと押し寄せて眠くなってしまうのか。

 

とにかく僕は毎週土日を寝ることで浪費し、後悔している。

来週こそは、来週こそ有意義な休日にしようと思いながらも結局同じ土日を過ごしてしまう。

 

 

 

更に酷いと思うのは、特に昼寝中の夢から覚めることができない。

そもそも大人になると夢を見ること自体無くなっていくと聞いたが、僕は睡眠ごとに必ず夢を見る。

 

 

さっきの昼寝中の話だ。

 

そろそろ犬の散歩に行かなくてはと思い立ち、準備を始める。

犬を抱えて近くの公園まで向かう。

途中、犬を散歩している人とジャンケンの話になった。

僕が一回チョキを出せばいいんです、そのあとにグーを出してください。

公園について犬を地面に下した瞬間、ハッとこたつで目を覚ます。

 

散歩に行く準備も、公園に向かう道中も全て夢の中での行動だった。

あまりにもそれは現実味を帯びていて、夢と現実の区別がつかなくなっている。

 

本当に散歩に行かなくてはと思い、身体を動かそうとしても身体が言うことを聞かない。

意識だけは時計を見つめ、はっきりしつつあるのに身体が動いてくれない。

そうしている間にいつの間にか次の夢が始まる。

 

これをずっと繰り返す。

 

時には、叫び声すら上げるときがある。

今、自分が見ているのは夢だと自覚し、覚醒するために大きな叫び声をあげる。

でも、その叫び声は夢の中のものであり、現実のものではない。

現に、僕が必死に叫んでいるのに、横で寝ている犬たちはびくともしない。

必死に捻り出した叫び声も虚しく、再び悪夢の国へ引きずり込まれていく。

 

何が夢で何が現実か分からなくなるのがとても苦しい。

 

 

 

 

僕は大学生の頃、「幽体離脱」が出来た。

幽体離脱と言っても、空を自由に飛び回るだとかそんな素敵なことは出来ない。

もっと生々しくて恐ろしくて、苦しい。

 

睡眠中の自分の身体から、まるで脱皮をするかのように意識だけがズルっとベッドの下に滑り落ちる。

感覚が敏感になっていて、聴覚や視覚が鋭くなっている気がする。

ベッドに横たわる自分を見て、戻らなきゃと思うけれど、少し動くだけで痛みでも快感でもない感覚が襲ってきて動くことが出来ない。

部屋の外から叫び声が聞こえてきて恐ろしくなる。

現実の世界では感じたこともない異常な程の恐怖心が襲ってきて、「死」が自分のすぐ隣に座っているような、そんな恐ろしさが駆け巡る。

 

幽体離脱のきっかけは分からない。

でも、ある夜、幽体離脱をしたあと自分の寝ている身体の上に人が乗っている姿を見た。

誰が座ってやがるのか、何とかして顔を見ようとすると、顔にモザイクがかけられた髪の長い女が座っていた。

僕は絶叫して家族に助けを求めたが、叫び声は夢の中に溶けて消え、届かない。

それ以来、僕は幽体離脱が出来なくなった。

 

僕の身体を覗き込むように見ていた「それ」を10年経った今でも覚えている。

 

 

 

 

僕が毎回夢を見るのは、日々の疲れのせいなのだろうか。

それとも、発達障害故の夢なのだろうか。

 

過眠症を妻は甘えだと言う。

確かにそうかもしれないが、僕だって起きていられるのであれば起きていたい。

でも、抗えないほどの睡魔が常に僕の背後に立っていて、隙を見せた瞬間に夢の世界へ放り込まれる。

 

 

確かに、睡魔に隙を見せてしまうのは僕の甘えなのかもしれない。

だが、コントロールが出来ない。

毎週末がとてもとても苦しい。

 

沈んでいく休日

僕は基本的に仕事は非常に真面目に取り組む。

たまにサボったりはするけれど、週5日フルスロットルで仕事をしている。

 

一生懸命のその反動が土日に現れる。

土曜日の朝から身体が重くなり、睡眠の海に溺れ沈んでいく。

 

 

今日も勉強、できなかったなぁ…

このままじゃ本当にまずいと思いながらも、睡眠の誘惑に抗うことが出来ない。

 

宣言したはいいが、このままでは試験に受かることは厳しいだろう。

土日の「甘え」を断ち切らなければ、ズルズルと自分がダメ人間になっていく気がする。

からあげクン

今日は月に1度の通院の日だった。

会社を早めに出て病院に向かう。

 

通ってる病院は予約なんてあってないようなもので、予約した日時と違っても、開いてればいつでも診てくれるからありがたい。

本当は明日の予定だったけれど、仕事が片付いたので今日行ってしまおうと思った。

 

 

 

僕は「今までやってきたことを変える」ということが難しい。

例えば、仕事のやり方だったり、毎朝自転車を停める位置だったり。

 

ただ、その中でも特に難しいことは、「食べるもの」を変えることだ。

 

食事において「挑戦」が出来ない。

 

お昼ごはんを外で1人で食べる時は絶対にラーメン屋以外に入らない。

いつも行く店で、新しいメニューを頼めない。

頼むのは決まっていつもと同じメニュー。

 

 

僕は病院帰り、毎度小腹が空くので必ずファミマでスパイシーチキンを買って食べる。

 

ファミチキではダメだ。

ナナチキでもダメだ。

スパイシーチキンでなくてはダメなのだ。

 

 

そんな僕が、今日はローソンのからあげクンを買って食べた。

 

仕事で外出してる時に見た「からあげクン 焦がしチーズ味」という広告が頭から離れなかった。

 

僕は今までスパイシーチキンしか食べて来なかったため、からあげクン自体食べたことがなかった。

 

普段なら絶対に買わないはずなのに、今回ばかりは「焦がしチーズ味」が完全に頭を支配した。

 

 

美味しかった。

 

からあげクンはスパイシーチキンよりもちょっと高い。

けど、5個入ってる。

美味しすぎて僕は5個一気に食べてしまった。

薬局に向かう途中、別のローソンがあったらもう1個買ってしまうかもしれないくらい美味しかった。

 

 

僕が今まで選んできた道は「安定」の道。

失敗はしないが、刺激もない、真っ平なつまらない道。

 

今日、僕は「挑戦」の道を選んだ。

波乱に満ちているが、新しい発見と喜び溢れる道。

 

 

春の夜の匂いに包まれながら食べたからあげクンは、僕に「挑戦すること」のきっかけを与えてくれたかもしれない。

新年度しょっぱなのポカ

昨日は新年度初日から仕事であり得ないポカをしてしまった。

始末書レベルの大ポカだ。

 

金融系の人事評価はよく言われるが減点方式だ。

「仕事ができる」よりも「ミスをしない」ことが一番大事だ。

有能な人間でもたった一つのミスで評価が地に墜ちる可能性がある。

 

 

昨日は部署内で歓迎会があったが、僕はもちろん参加するどころではなかった。

隣の食堂から聞こえてくる笑い声を聞きながら、デスクで一人頭を抱えていた。

 

課長は気にするなと言ってくれたが、久しぶりの大ポカにさすがに心が疲れてしまった。

 

そんな僕を見かねて、課長がひっそりと二次会を開いてくれた。

僕はお酒が強くないくせして日本酒を3合近く飲み、酔い潰れた。

家に帰り、吐き気を催しながらカップラーメンを啜り、ちょっと泣いた。

 

 

 

僕は発達障害をミスの言い訳にしたくない。

 

人よりも注意力が散漫だからなんだというのだ。

人よりも注意力が低いのであれば、人の倍以上に注意力を働かせる他ない。

 

職場は小学校や中学校ではない。

謝って許されるのは子供だけだ。

大人の世界で「発達障害だから」はなんの言い訳にもならない。

厳しい世界だが、それを言い訳に使うのであれば、ただそれ相応の烙印が押されるだけだ。

 

発達障害は「ミスをする原因」にこそなれど、だからと言って「努力をしなくて良い理由」には決してならない。

本来ならば、僕は人の5倍は注意をする努力をしなければならなかった。

それなのに、その努力を怠った時点で僕は愚かな人間だ。

 

 

ただ、失敗をいつまでもクヨクヨ嘆いてもしょうがない。

今回は勉強したと思い、次に繋げればいい。

同じ失敗を二度と繰り返さなければ良い。

 

 

幸いなことに、トップがなんとか解決方法を導いてくれた。

 

僕の評価は確実に落ちただろうが、仕事で失った信頼は仕事で取り戻すしかない。

 

明日から、馬車馬のように働こう。

そして、もう二度とミスをしない努力をしよう。

 

 

新年度初日から最悪のスタートを切りました。

 

覚悟と決意

いよいよ明日から新年度が始まる。

明日入社式を迎える新入社員は、モラトリアム期間の最後の日曜日をどう過ごしたのだろうか。

 

 

ちなみに、僕は入社式当日にインフルに罹った。

 

意識混濁状態で一日を過ごし、飲み会ではいつ倒れてもおかしくなかった。

翌日から始まった宿泊研修に辛うじて気力だけで参加したものの、途中から周りの音が一切聞こえなくなり、離脱。

熱が40度まで上がり、翌日の朝に速攻で家に帰らされた。

一晩付きっ切りで看病してくれた人事の人には今でも感謝している。

 

当時は「同期に遅れをとったなぁ…」と非常に悔しい思いをしたが、今にしてみれば誤差である。

いや、誤差すら生じてないだろう。

 

 

 

 

僕にとって、明日からの1年間は非常に重要な1年になる。

 

僕は順当にいけば来年「主任」へ昇進する歳である。

年功序列の会社故、主任にストレートで上がれないことは余程のことがない限りはありえない。

ただ、主任以降は明確に同期と差が生じ始める。

 

主任、係長を経て管理職となるのだが、係長から管理職への壁が非常に高い。

ストレートで上がれる人もいれば、何年かけても係長どまりの人もいる。

 

つまり、主任以降はある程度能力が評価されないと次へ進むことが出来ない。

 

 

正直、通常業務である「営業」で言えば、僕は中の下くらいの実力だろう。

突出して「優秀」だと言える部分はない。

であるがゆえに、僕は同期とどこかしらで「差」を作らなければならない。

 

 

システム部門はかなり特殊な部門で、行ける人間は限られている。

それに加えて、「デジタル人材」が喉から手が出るほど欲しい会社の現状であれば、システム部署は花形部署とも言えるのではないかと勝手に考えている。

 

 

だから、作るんだ、差を。

IT知識を身に着けて、必ず来年システム部に異動して、同期と比較して絶対的に替えの利かない存在になるんだ。

 

先のインフルでの差はまさに誤差レベルだったが、これから生じてくる同期との差はやがて圧倒的な差になる。

 

 

 

 

と、行きたい行きたいと志望したところでIT知識がなければたとえシステムへ異動できたとしてもただのお荷物でしかない。

いや、異動を希望することすらおこがましいと言える。

 

だから、僕は来年度の目標を2つ立てた。

一つは「基本情報技術者試験」の合格。

そして、もう一つは「応用情報技術者試験」の合格だ。

 

 

詳しくは後日書こうと思うが、基本情報はCBT(いつでも受けられるテスト)だ。

いつでも受けられるというとダラダラしかねないため、受験日を5月13日に設定した。

 

なぜ5月13日なのかというと、そのちょうど5か月後の10月13日が年2回しかない応用情報の試験日だからだ。

 

IT知識が0の自分にとって、この短期間で合格を目指すのはかなり苦しい闘いになることは間違いない。

それでも、やらなければならないのだ。

 

 

システム部門の扉を叩くことのできる人間は限られている。

そして、叩くことはできても、入門できる資格のない者に扉は開かない。

 

 

扉をこじ開けるために、明日からの1年間、覚悟と決意を持ち続けなければならない。

涙の価値は

朝、ゆっくりと目覚め、いつもよりのんびりと洗顔をする。

普段通りキビキビと身支度を整える余裕は、とうになかった。

時間の流れがやけに遅く感じる。

 

外は、春の匂いがする。

それに混じって、まるで僕の心模様を表すかのように温かい雨が頬を濡らす。

 

自転車のペダルを漕ぐ脚がいつもよりも重い。

僕は、気を抜けば涙が溢れ出てしまう寸前だった。

振り続ける雨のように。

 

 

 

僕は人前で絶対に涙を流さない主義だ。

 

じいちゃんの葬式の時も、無理矢理明るく振る舞い、絶対に泣かなかった。

でも、家に帰って、お風呂に浸かってるときに涙が溢れて止まらなかった。

体の水分が空っぽになるまで号泣し続けた。

 

 

僕が人前で泣かない理由は、一度感情が爆発すると自分で制御できなくなるからだ。

そんな姿を見られるのは少し恥ずかしい。

 

だからどんなに悲しいことがあってもグッと涙を堪える。

 

 

側から見たら薄情な奴と思われるかもしれない。

だが、それでいい。

 

見せないからこそ、涙には価値があると僕は思う。

 

だから僕は最終日の今日も泣かなかった。

 

 

涙でお別れなんてイヤじゃん

笑ってお別れしたいじゃん

 

 

そして、やっぱり今回も家に帰って泣いた。

 

 

ASDは感情のコントロールと気持ちの切り替えがとても苦手だ。

今までの平静を取り戻すのには、もう少し時間がかかるかもしれない。

 

 

 

親愛なる後輩に捧げる。

 

 

どうか、あなたの旅路に、溢れんばかりの祝福を。