新年度を迎えてから一週間が経った。
先週の月曜日入社式だったであろう新入社員は、今はまだ研修期間中だろうか。
それとも各々の部署に仮配属されただろうか。
社会人になって初めての土日を過ごして、日曜日が終わる寂しさを改めて実感しただろうか。
僕は日曜日が終わると逆にワクワクする。
仕事が好きかと聞かれたら、好きだと答えるかもしれない。
生きているように見えて生きていない休日とは違い、出勤する平日は生を実感する。
ただただ悪夢を彷徨い自堕落に過ごす休日よりも、仕事をしているときは自分がまるで別人のように感じる。
平日になると、水を得た魚のように生き生きとする。
それは僕が中堅ポジションになったことによる責任感なのか。
上司から信頼を得て、仕事を任せてもらえている優越感なのか。
上司からも後輩からも頼りにされている会社での自分は、確実な存在がそこにある。
仕事を与えられることで、自分のやるべきことが生まれ、それに取り組むことで生を感じる。
言うなれば、会社は「仕事」を通して僕に僕という存在を与えてくれているのだ。
休日の僕は、猛獣がいない猛獣使い。
本がないブックカバー。
猫が居ない猫カフェ。
猛獣がいない猛獣使いはただの人だ。
それと同じで、仕事がない僕はただの人なのだ。
猛獣使いにとって猛獣は存在証明。
僕にとって仕事が存在証明なのだとすれば、そりゃ休日は苦しいよ。
キラキラな休日を過ごす会社の人を見て羨ましく思う。
土日が終わってしまうことを本気で悲しめる人は、確かな自分を持っている。
僕みたいに、仕事を与えられないと生き甲斐を感じられない人間とは違って、自分で自分の存在を証明できている。
ここまで病的ではないけれど、どこか近いものを感じてしまった。
何か休日に趣味でも見つけようか。
豆から挽いた珈琲でも飲みながら、小説でも読んでみようか。
いや、2日で飽きるだろう。
何をやっても続かない僕は、生きるために「続けていくしかない」仕事こそが唯一の趣味なのかもしれない。
哀しい男だ。