発達障害と診断されたけれども

生きるってつらいよねっていうアラサー会社員です。くだらないこともたくさん書きます。

理解のある彼君

最近、「理解のある彼君」という言葉が流行っている。

 

dic.pixiv.net

 

僕の妻がまさにその「理解のある存在」だろう。

 

 

 

今日はスマホの機種変更をネットでした。

複雑なことが分からない僕は妻に、プランはこれ、容量はこれ、と教えて貰いながら手続きをした。

 

iPhone13から15に変わるので、充電コードも必要ということなのでAmazonで探してもらった。

ついでにスマホケースも手帳型のやつを探してほしいとお願いしたら安くて良いやつを見つけてくれた。

 

 

妻は超が付くほどのしっかり者だ。

この家の全ては妻が回しているといっても過言ではない。

 

僕が仕事から帰ったらすぐにご飯が食べられるように準備していてくれる。

ティッシュや洗剤、お風呂の後に食べるアイスまで、在庫が切れる前に妻が補充してくれる。

トイレ掃除は僕がやっているのに、ブルーレットやスタンピーまでいつの間にか補充されている。

引っ越した時のネット回線の手続きや家具家電の調達まで全て妻がやってくれた。

猫のトイレ掃除や水替えなどもやってくれている。

 

 

僕の私物もほとんど妻が揃えてくれたものだ。

財布は大学2年生の誕生日に貰ったもの。

通勤用の鞄は社会人2年目の時の誕生日に貰ったもの。

持ってるネクタイも全部貰ったもの。

今使っているアイコスでさえ、誕生日に貰った。

僕の靴下や下着もそろそろ替え時だと感じたら、いつものやつを買ってきてくれる。

 

 

付き合っている時からそうだった。

旅行に行くときはホテルや新幹線、レンタカーの手配なども全て妻がやってくれた。

だから僕は30歳にもなるのに未だに新幹線の切符の買い方が分からない。

今の会社でさえも、妻がここ良いんじゃない?と勧めてくれた会社だ。

 

 

多分、妻と出会わなかった世界線の僕は大学すら卒業できなかっただろう。

未だに実家暮らしだったかもしれない。

 

 

 

実際に、僕が通っている病院の先生はこう言っていた。

「らむねさんは本当に良い人と巡り会えた。奥さんと出会ってなかったら恐らく相当壮絶な人生だったでしょう。」

 

妻にとってはいい迷惑かもしれないが…。

 

 

僕は元々別の大学を志望していた。

模試でもずっとA判定だったが、センター試験に玉砕し、通常入試でも撃沈した結果某大学に入学した。

だが、大学受験に失敗したからこそ僕の人生の支えとなる妻と出会えたのだ。

そう考えると奇跡的な巡り合わせのように感じる。

 

 

 

僕はそんな妻に何ができるだろうかと、ふと考えた。

出会って10年経つが、僕は今まで何かしてあげられたのだろうか。

与えられてばかりだ。

僕は愛されたいと一丁前に嘆く癖に、一番愛してくれている人を遠ざけていたのかもしれない。

 

 

 

理解のある妻によって僕の人生は救われた。

 

ここから先の人生は、せめてその恩を返せるように過ごしていきたい。

 

 

 

しかし、書いてみて我ながらどこまでいっても情けない男である。