コミュニケーション能力というものは千差万別である。
人と話すことが得意な人、苦手な人
ボケがうまい人、ツッコミがうまい人
聞く人の興味をそそる話し方ができる人、つまらない話し方の人。
発達障害を抱える人は特にコミュニケーション能力に対して劣等感を感じている人が多いのではないだろうか。
どうしてあの人はあんなに面白い喋りができるんだろう。
どうしてあの人は誰とでも気さくにしゃべることができるんだろう。
どうして自分は人とうまくコミュニケーションが取れないんだろう。
そんな悩みを抱えている人は多いと思う。
コミュニケーション能力は生きていくうえで必要不可欠なスキルであるのに、学校では教えてくれない。
教えてくれたとしても「人の嫌がることは言わないようにしましょう」だとか、「相手の気持ちに立って話しましょう」とか至極一般的なことしか教えてくれないだろう。
小学生、中学生、あるいは高校時代を思い返してほしい。
「人に話すとき、もっと聞きたいと感じさせるの間の取り方は〇秒空けることですです。」
とか
「こういう場面ではこういうワードを使いましょう。こうツッコミが来たらこう返しましょう。」
などと具体的な教育があっただろうか?絶対に無いはずだ。
会社に入ると研修などで「傾聴力を養う」だとか、「交渉術」だとかコミュニケーションに関して学ぶ機会は多くなる。
だがそれも、例えば「相手が話しているときは遮らずに最後まで聞きましょう」だとか、「目を見て頷いて話を聞きましょう」だとか、「小さなお願い事から始めて大きなお願い事をしましょう」など、所詮は小手先のテクニックにすぎない。
発達障害の人が抱える、根底にある「人と話す行為」が苦手という特性に、小手先のテクニックだけで乗り越えるには無理がある。
言わば、人と話す力、人の話を聞く力というのは生きていく中で自然と身に着けていく他に無いのだ。
では、コミュニケーション能力を今まで生きてきた中で培えなかった人はもうコミュニケーション能力を向上させることを諦めろというのか。
決してそうではないと僕は思っている。
僕も今まで人と会話をするのがとても苦手だった。
会話のラリーが続かなかった。
相手からの返事に対して返す言葉が頭に浮かんでこない。
向うが冗談を言っているのにそれに対してどう返しをしていいか分からない。
でもそれをどう解決していいかも分からない。
そんな状況を打開するべく僕がやったのは
「自分が理想とする人をそっくりそのまま真似する」
ことだった。
例えばお笑い芸人は人を笑わせるプロだ。
話し方から声のトーン、間の取り方、テンポ、語彙力…
彼らは人から好かれるため、受けるために必死で研究している。
自分の身近な同僚でコミュニケーション能力が高い人を真似するのもいいとは思うが、やはり出来ればプロの姿を真似した方がいいと僕は思う。
何故なら、その面白さが大衆に受けているから故にメディアに出演できているからだ。
(最も、作られた流行で出演している人もいるだろうが…)
それを真似すること、それこそが、大衆受けするコミュニケーション能力を獲得できる一番の近道ではなかろうか。
僕はというと、とあるパチスロYoutuberの喋り方や間の取り方、受け答えをそっくりそのままコピーした。
因みに、彼はYouTuberになる前は不動産営業をしていたそうだ。
彼が出ている動画を全部見て、返し方や間の取り方、話題の繋ぎ方やワードセンス(語彙力)などを吸収した。
彼だったらこんな時こう言うかな?
僕が今遭遇している場面で、彼はこんな風に返していたかな。
と、吸収したことが日常で生きていく。
おかげで、最近の僕は誰かと話すとき、絶えず笑いが起きるような話し方をできている(気がする)。
結局のところ何が言いたいかというと、コミュニケーションが苦手だとしても諦めないでほしい。
「自分には無理だ…ああいうコミュ力高い人にはなれない…」
そう思うのは簡単だ。諦めることなんて馬鹿でもできる。
そこで諦めたら一生そのままだ。
変わりたいと、そう心から願うのなら、せめて足掻いて見せよう。
「あんな風になりたいな」と思う人がいるならば、そっくりそのままコピーすればいい。
「自分はそういうキャラじゃないから」
「恥ずかしくてできない」
「今までコミュ症だったから」
全部関係ない。言い訳なら足掻いた後に言えばいい。
足掻く前に吐く言い訳は逃げだ。
足掻いた後に吐く言い訳は闘った証だ。
今の自分に不満や劣等感を感じているのなら、ほんの少しでいいから足掻いてみよう。
そうしないと人は一生変われないのだから。